異界と身体性—マルク・シャガールによせて—
宇都宮美術館でシャガール展が催されているらしい。
運良く今週末帰省出来たら見に行く所存ではある。
いつも自分主催で何かを観に行く時は、予習をしてしまう癖がある。
しかも、事実とか歴史とかそういった唯一無二の知識を仕入れることはせず、
変なところの共通性を探したり、穿った見方の基となるようなことを知ったりして
喜んでしまう。
小道具の猫を遣い魔に例えた書評を頭に叩き込んで観に行った。
多分、プレゼントを選ぶ訳でもないのにビレッジバンガードに居着いたり、
トーキングヘッズを収集したり、ゲスの極み乙女を好んで聴く人種には
そういう傾向がありそうな気がする。
シャガールの絵は、宇都宮市美術館のコレクションにも何点かあり、
常設展でそれは見ることが出来る。
記憶に灼き付いているのは、若干ねじ曲がったカップルと宙に浮いた白馬。
幻獣が飛び交う世界だから、身体が歪むのか、
あるいは、常軌を逸した身体が幻想を招くのか、
シャガールの世界はどちらだろう。
シャガールの身体は、キュビズムとかに比べるとデッサンの狂いかな?
って感じるくらい全然正常に近い物で、だからこそ、幻想がどこから来るのかが
気になってしまう。
少しずつ、わからないくらいに身体が歪んで行って、
意識も曲がり、気付くとそこら中に白馬が飛び回っていて、
自分も宙に浮いてって、なんか社畜をしてるとありそうで怖い。
それよりも、異界に飛ばされて、身体も少しずつ溶け込んで行って、
というほうが平和だし、何か幸せそうだよね。